[ still life ] name of the photograph part3

写真という静物——-1994執筆

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PART3 静かな生活

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池澤夏樹の小説『スティルライフ』の冒頭にこのような文章がある。

世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。

世界と君は、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。

君は自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる。世界の方はきみのことを考えていないかもしれない。

でも、外に立つ世界とは別に、きみの中にも、一つの世界がある。きみは自分の内部の広大な薄明の世界を想像してみることができる。きみの意識は二つの世界の境界の上にいる。

大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼吸と調和をはかることだ。

たとえば、星を見るとかして。

二つの世界の呼吸と調和がうまくいっていると、毎日を過ごすのはずっと楽になる。心の力をよけいなことに使う必要がなくなる。

水の味がわかり、人を怒らせることが少なくなる。

星を正しく見るのはむずかしいが、上手になればそれだけの効果があるだろう。

星でなく、せせらぎや、セミ時雨でもいいのだけれども。

池澤がこの小説になぜ『スティルライフ』と題をつけたのかといえば、「美術用語の『静物画』であり、人々が醸し出す『静かな生活』の意味合いもこめた」といい、「僕は人と人との関係よりも、人とモノとの関係に傾いている。いわゆる人間関係よりもちょっとずれたところに興味がある」と語っている。

この文章は、J.G.バラードが主張する、「『外宇宙』よりも『内宇宙』に目を注げ」といい、「この『内宇宙』というのは、純然たる精神や意識あるいは無意識の世界ではなく、『外なる現実と内なる精神が出会い、解け合う場所』」としている。

池澤のこの文は、バラードの主張を彼流に解釈し、声高ではない、静かな言い方で主張しているのである。「外に立つ世界」とは「外なる現実」のことであり、「一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼吸と調和をはかること」が「外なる現実と内なる精神が出会い、解け合う場所」なのである。

世界を、人間中心的な西欧的世界観でとらえても、人間は自然の一部であるとする東洋的世界観だけでもだめであると、「この世界が君のために存在するとおもってはいけない」といい、「世界は君を入れる容器ではない」と言っているのである。

写真家のアルフレッド・スティーグリッツの彼の晩年の作品群の中に『エクィバレント』というシリーズがある。『エクィバレント』というのは、『等価』という意味で、彼はこれを、「私の雲や山を撮った写真は、私の最も深い経験とか、自分の基本となる哲学と同じ価値がある。雲や山などからなる自然と、それを撮った写真と自分の心を、全部同じようにし、吸収してしまうような写真、自分の内的な経験と対応するような写真を『エクィバレント』と呼ぶ。」といっている。

これは「どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている」ということであり、「星を見るとかして」、「並び立つ二つの世界の呼吸と調和をはかること」なのである。

かつて中平卓馬という写真家がいた。いや、いまでも写真家であることに違いはない。かつての中平がこのようなことを言っている。

おれは雨戸のふし穴だ。まるで暗い部屋のレンズのようなものだ。おれを通して妻と子供、猫の世界と外の世界は、正像と倒立像の関係に在った。どっちがどっちだかわからなかった。こっちが正像なら、あっちが倒立像だ。こっちが倒立像なら、あっちが正像だ。いずれにせよ、おれはふし穴だ。ただの穴ぼこでは存在ではない。・・・そんなことを考えた。

穴ぼこである存在ではない存在までも消し去ろうとして、彼はアルコール中毒で倒れて記憶を無くしてしまったのだ。彼は「二つの並び立つ世界」に折り合いがつけられずに、「心の力をよけいなこと」につかわざるおえなかったのである。彼は『静かな生活』が送れなかったのである。

しかし、スティーグリッツの言う『エクィバレント』の考えに照らし合わせると、中平の撮影する現在の写真は、『エクィバレント』という考えに当てはまっている、といえるのではないだろうか。なぜなら、彼の今撮っている写真には、何も写っていないにひとしいのである。あえて写っているとすれば、対象の『無』というものが写っている。あるいは、もっと高次元の『空』というものが写っているのかもしれない。これは彼が『無』であるからにほかならない。彼も、写している対象も、写真も『等価』なのである。彼は今、『静かな生活』が送れているのである。または、『写真生活』を送っているのである。

『スティルライフ』という言葉の『スティール』とは映像(ムービー)に対して『普通の写真』という意味で使われる。(宣伝用に映画の一場面を撮ったものとして使われることもある。)ならば『スティルライフ』とは『写真生活』として使われてもいいのではなだろうか。

中平の言葉を借りると、「おれは穴ぼこである」という存在でない存在は、「二つの並び立つ境界」にいるのである。とても危うい存在である。「境界にいる君」とは、「暗い部屋のレンズ」であり、「外に立つ世界」とは「正像」で、「自分の内部の広大な薄明の世界」とは「倒立像」のことである。あるいは、その逆である。自分という「穴ぼこ」をとおしてはじめて、内宇宙である写真がたち現れてくるのである。「一歩の距離をおいて並び立つ」というのは、写真は、近すぎては見えなくなるし、遠すぎては、何が写っているのかわからない。たえず一歩の距離をおくこと。一定の距離をおくことでよく見えてくるのである。「どちらにも寄りかかることなく」である。

奈良原一高は、松岡正剛との対談の中で、ずばりこういっているのである。

「写真というのはいろいろやっているように見えても、つきつめていえば、セレクションというひとことに尽きるとおもう。外の世界と自分の内部との組み合わせの、あらゆる段階におけるセレクションをやっている。写真はJ.G.バラードが『外なる現実と内なる精神とが出会い融合するところ』と語った内宇宙そのもののように思える。」

セレクションというのは、被写体を選んだり、光を選んだり、シャッタースピード、絞り、プリントの段階にしても、焼き具合やトーンを選ぶなど、あらゆる段階において選択をしなくてはならない。それらの選択にはあらゆる組合せがあるのだが写真家がもっているイメージというのが、バラードの言う内宇宙の原型、あるいは母体となるものであろう。

絵画に於ける静物表現においても興味深いことがある。高村光太郎は、1911年に「静物画の新意義」という論文を発表し、それは静物画に於ける自己表現の可能性を説き、「人間は感覚の力に依るの外、生の強度な充実を得る道はない。感覚の存在が自己の存在である。」といい、「客観と主観との合体の生命」を静物表現としたのである。この場合、客観とは外なる現実であり、主観とは自分のもつイメージであり、それらの合体の生命というのが、外なる現実と内なる精神が融合するところなのである。これを受けて、麻生三郎は、「画家が静物画を必要とする、描こうとするとはどういうことか」と問い、「事物を凝視し続けるうちに、事物への視線は自分にはね返って自己の解体を促す。つまり、対象凝視は、私の実像を問い、視線に反転する。対象物をより客観的にそして自分をよりまともに正視することだ。そしてまた始まる。」

つまり、静物表現でも、外なる現実と内なる精神が融合するところが、静物画になるのである。写真の場合は、それがそれがフィルム上であり、紙の上にたち現れ、静物画では、それがキャンバスの上に現れるのである。

どちらも、物を通しての自己発見であり、自己検証となるものである。

森山大道が飯沢耕太郎との対談の中では、「先験的にも経験的にも、いろいろな記憶が細胞の編み目の中に染み込んでいて、現実の何かを見ている瞬間に、その記憶のある部分と感応するのかもしれない。僕の写真を撮る衝動というのは既視感とのショートでそういう瞬間にシャッターを押している。」といっている。飯沢は「森山さんの写真を見て思うのは、撮られたものすべてが『等価』というか、この風景はあっちより偉いんだ。みたいなことがない。」といっているのである。

写真を撮るということは、その既視感との出会いであり、つまり、自分の内宇宙をみることである。

飯沢は「写真をじっと見つめていると、心の奥にしまいこまれた記憶や感情の断片が、不意に切実な痛みをともなってよみがえってくることがある。それは、はじめてみた物のはずなのに、まるで同じことを繰り返しているように感じる、あの『デジャ・ヴュ』(既視感)の体験とよく似ている。」ということも言っている。

写真を見て『デジャ・ヴュ』を感じるというのも、自分の内宇宙を見ることになるのである。このとき写真が外宇宙となるのである。

写真を撮るということは、世界を見るということであり、自分の内宇宙を見ることである。つまり、世界を見るということは、自分を見ることでもある。写真を撮ることだけではなく、写真を見ることも、内宇宙を見ることである。

内宇宙である写真と外宇宙である世界が『等価』であるとするなら、写真を見ることによって外宇宙である世界を見ることと同じである。写真を見ることによって自分の内宇宙を見ることでもある。その写真は、こんどは、外宇宙となり、また、内宇宙に照らし合わせる。このようなフィードバックにより、より内宇宙である自分の「内部の広大な薄明の世界を想像してみること」ができるのである。

写真は認識のメディアである。写真とは表現するためのメディアであるけれども、その前に世界を知るためのメディアである。

スーザン・ソンタグは、『写真論』の中で、こう語っている。

実際なにかを写真の形で見るということは、内に魅惑を秘めた対象に出会うということである。写真映像の基本的な知識は、そこに表面がある。さて、その向こうには何があるのか、現実がこういうふうに見えるとするとすれば、その現実はどんなものであるはずかを考えよ、あるいは感じ直感せよ。といってみることである。自分では何も説明できない写真は、推論、思索、空想へのつきることのない誘いである。

これは、「星を正しく見るのはむずかしい」のであり、「世界の方は君のことを考えていないかも知れない」しかし、「世界という立派な木があることを知って」いて、「それを喜んでいる」のである。

写真は、世界のことを考えると同時に自分自身を考えることができる道具である。世界をどのように見ているのか、あるいは、どのように見えるのかを検証するための手がかりとなるものである。

ニエプスとともに写真を発明した、ダゲールはこういいのこしている、「ダゲレオタイプはたんに自然の描写に役立つ道具ではない。それは自然に対して自分を複製する力を与える」と。

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1994年執筆当時のまま掲載

敬称略

参考文献

池澤夏樹『スティルライフ』中央公論社1988

谷川 雁『形象と時間』白水社1986

奈良原一高・松岡正剛『写真の時間』工作舎1981

スーザン・ソンタグ『写真論』近藤耕人訳 晶文社1979

J.G.バラード『結晶世界』中村保男訳 東京創元社1969

飯沢耕太郎『写真の森のピクニック』朝日新聞社1991

『はるかな空の下で』日本の現代写真(カタログ)東京都写真美術館1993

『The new still-life』(カタログ)国際芸術文化振興会1993

『STUDIO VOICE No.203』インファス1992

『Deja-vu No.1』フォト・プラネット1990

『WAVE No.25』ペヨトル工房1990

ロラン・バルト『明るい部屋』花輪光訳 みすず書房1985

『静物 言葉なき物たちの祭典』(カタログ)静岡県立美術館1990

『芸術学ハンドブック』 草書房1989

鈴城雅文『写真=その「肯定性」の方位』お茶の水書房1992

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